夫婦同姓の習慣は、1898年(明治31年)公布・施行の
明治民法以来のもので、たった100年のみのものです。
それ以前、日本の庶民には姓はありませんでした。
ですから、同姓も別姓もありえなかった訳です。
姓を名乗ることを許されていたのは士分以上の者のみで、
人口の約6%のみでした。
そして、その婚姻に際しては、夫婦別姓制度でした。
歴史で習った、北条政子も、日野富子も、夫とは違う姓ですよね。
といっても、封建時代の夫婦別姓は、男女平等に基づくものではなく、
出自を重んじ、女性が婚家に入れない結果だったのです。
実際のところ、日本では「夫婦同姓」に長い歴史はありません。
長い歴史の中で、庶民はもともと姓はありません。
歴史上の人物における別姓夫婦には、源頼朝と北条政子、
足利義政と日野富子の夫婦などが挙げられます。
夫婦同姓が法律化されたのは、明治に入ってのことです。
明治民法(1898年)に次のような一文があります。
「戸主及ビ家族ハ其家ノ氏ヲ称スル、妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」
当時の意識として、婚姻後の姓は別姓同姓ということではなく、
妻が家に入るというものです。
ですから自然、姓も夫側のものに変わるということがわかります。
また、わが国はずっと「家」制度によって縛られていました。
「家」制度とは、1人の家長(戸主)を頂点とし構成された家族制度です。
また、それを制度化したのが「戸籍」制度です。
人は戸籍に乗る(乗せられる?)ことで、どんな人でも人は
いずれかの「家」に所属して、扶助関係が成立していたのです。
この明治民法が廃止され、現行民法へと移行しました。
そこには「家」制度はもう存在しないのですが、
残念ながらそうなっていないのは周知のとおりです。
「家」制度という発想は私たちの根底にあることは否めません。
結婚の際改姓をした女性に対して「嫁を貰う」や「嫁に行く」とはいっても
「婿に行く」「婿を貰う」という考えはありませんよね。
そういった場合、あくまで「婿養子」という発想に基づいていますよね。
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